舞姫

森鴎外 舞姫 第1話 | この航海での私の習慣のように…

森鴎外 舞姫 第1話 | この航海での私の習慣のように…

Contents

  • 森鴎外の作品概要
  • 舞姫の書かれた社会
  • 「舞姫」原文と日本語の現代語訳
    • 1.1 この航海での私の習慣のように...
    • 1.2 ああ、ああ、ブリンディジの港を出てから、もう二十日以上も経ってしまった。
    • 1.3 名声と、視察に慣れた勉強の実力で
  • 「舞姫」の全エピソード
    • 第1話 この航海での私の習慣のように…
    • 第2話 この航海での私の習慣のように…
    • 第3話 この航海での私の習慣のように…

森鴎外について

本名 倫太郎(りんたろう 石見国神足郡津和野町(現・島根県神足郡津和野町)に生まれる。鴎外は、津和野藩医亀井家に数代にわたって仕え、その影響もあって第一大学医学部(現東京大学医学部)の予科に入学した。1884年(明治17年)から5年間、ドイツに留学して衛生学などを学んだ。鴎外のドイツ語は、『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』『大ハッケン』『いたすアリス』などの作品で見ることができる。その後、陸軍軍医総監まで出世したが、創作意欲は衰えず、『高瀬舟』『阿部一族』などの名作を発表した。

森鴎外が書いた他の作品

合わせて読みたい 舞姫 うたかたの記 文づかひ

舞姫の書かれた社会

  • 7月1日 - 第1回衆議院議員総選挙。
  • 10月30日 「教育ニ関スル勅語」公布。
  • 11月29日 第一回帝国議会が開かれる。

「舞姫」原文と日本語の現代語訳



1.1 この航海での私の習慣のように…
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石炭をば早はや積み果てつ。

 五年前いつとせまへの事なりしが、平生ひごろの望足りて、洋行の官命を蒙かうむり、このセイゴンの港まで来こし頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新あらたならぬはなく、筆に任せて書き記しるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日けふになりておもへば、穉をさなき思想、身の程ほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記にきものせむとて買ひし冊子さつしもまだ白紙のまゝなるは、独逸ドイツにて物学びせし間まに、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきも徒いたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。

森鴎外 舞姫

石炭はすぐに積み上げられた……。 中間のテーブルはテーブルランプによって静まり、ランプの光は明るく澄んでいるが、ちょっといたずらである。 今夜は夜ごとここに集まって骨牌をしている仲間は皆ホテルに泊まり、一人だけが船に残ることになる。

五年前、西貢の港に着いた時、私は目新しいものでないものを見聞きし、当時の新聞に掲載された紀行文に毎日数千字を書き留めた。当時の新聞に掲載され、世間の人々から賞賛されたが、今思い返してみると、どうして心ある人は、軽率な考え、 自分の限界を知らない人間の放言、珍しい植物や石、そして風俗習慣まで、見ることができたのだろう。この本は渡航時に日記用に買ったもので、まだ白紙の状態だが、ドイツ留学中に一種の「ニル・アドミラリティ」を身につけたのかもしれない。

今、東洋に帰ってきた私は、西洋に出航した時の私とは別人である。私は以前学んだことがないほど多くのことを学びました。浮世の波乱を知り、人の心の頼りなさを知り、自分の心や精神がいかに簡単に変化するかを知りました。私は自分の心や精神が容易に変化することを知ったこの過去に経験したことのない私の一瞬の感情を、筆で写すことによって誰に見せてあげたい。これが日記が完成しない理由であるが、もう一つ理由がある。



1.2 ああ、ああ、ブリンディジの港を出てから、もう二十日以上も経ってしまった。
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嗚呼あゝ、ブリンヂイシイの港を出いでゝより、早や二十日はつかあまりを経ぬ。世の常ならば生面せいめんの客にさへ交まじはりを結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習ならひなるに、微恙びやうにことよせて房へやの裡うちにのみ籠こもりて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭かしらのみ悩ましたればなり。此この恨は初め一抹の雲の如く我わが心を掠かすめて、瑞西スヰスの山色をも見せず、伊太利イタリアの古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭いとひ、身をはかなみて、腸はらわた日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳かげとのみなりたれど、文ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度いくたびとなく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨を銷せうせむ。若もし外ほかの恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地こゝちすが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心に彫ゑりつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴ばうどの来て電気線の鍵を捩ひねるには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。

 余は幼き比ころより厳しき庭の訓をしへを受けし甲斐かひに、父をば早く喪うしなひつれど、学問の荒すさみ衰ふることなく、旧藩の学館にありし日も、東京に出でゝ予備黌よびくわうに通ひしときも、大学法学部に入りし後も、太田豊太郎とよたらうといふ名はいつも一級の首はじめにしるされたりしに、一人子ひとりごの我を力になして世を渡る母の心は慰みけらし。十九の歳には学士の称を受けて、大学の立ちてよりその頃までにまたなき名誉なりと人にも言はれ、某なにがし省に出仕して、故郷なる母を都に呼び迎へ、楽しき年を送ること三とせばかり、官長の覚え殊ことなりしかば、洋行して一課の事務を取り調べよとの命を受け、我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて、五十を踰こえし母に別るゝをもさまで悲しとは思はず、遙々はる/″\と家を離れてベルリンの都に来ぬ。

森鴎外 舞姫

この航海の慣例として、私は多くの客と一緒になって旅の慰めをしているが、私は不安の中にあって、誰にも知られない怨念に悩まされて、仲間に一言も話さないのである。初めはこの怨念が、私の心を悩ます雲のようなもので、瑞星スイスの山岳風景やイタリアの古跡を見ることができなかったが、途中から世の中を厭い、自分を恥じて一日に九回も腹が回ったので、今は心の中で固まり、影のようなものでしかないのである。しかし、一文を読むたびに、物を見るたびに、鏡に映る影や、声のこだまのように、私の尽きせぬ郷愁を呼び起こし、何度も何度も心を苦しめるのである。どうしたらこの恨みを晴らすことができるのだろう。どこかの恨みであれば、詩や歌に詠んだ後、気持ちが楽になるのですが。私の心に深く刻まれているのは、これだけではないのですが、今夜は誰もいないので、信者が来て電線の鍵をひねるより、まだ少しはましだと思うのです。

 私は幼い頃から園の厳しい教えを受け、早くに父を亡くしましたが、学問の元気を失わず、学問を愛する心を失いませんでした。母の心を慰めたのは、一人っ子が自分の力であの世に渡ることができたからです。19歳のとき、私は理学士の称号を得たが、これは大学創立以来の最高の栄誉であると人々は言った。ある課の事情調査のために外国へ行くことを命じられ、家を出て遠く離れた首都ベルリンに来たが、50歳を過ぎた母との別れがそんなに悲しいとは思わなかった。



1.3 名声と、視察に慣れた勉強の実力で
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 余は模糊もこたる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、忽たちまちこの欧羅巴ヨオロツパの新大都の中央に立てり。何等なんらの光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。菩提樹下と訳するときは、幽静なる境さかひなるべく思はるれど、この大道髪かみの如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々くみ/″\の士女を見よ。胸張り肩聳そびえたる士官の、まだ維廉ヰルヘルム一世の街に臨める※(「窗/心」、第3水準1-89-54)まどに倚より玉ふ頃なりければ、様々の色に飾り成したる礼装をなしたる、妍かほよき少女をとめの巴里パリーまねびの粧よそほひしたる、彼も此も目を驚かさぬはなきに、車道の土瀝青チヤンの上を音もせで走るいろ/\の馬車、雲に聳ゆる楼閣の少しとぎれたる処ところには、晴れたる空に夕立の音を聞かせて漲みなぎり落つる噴井ふきゐの水、遠く望めばブランデンブルク門を隔てゝ緑樹枝をさし交かはしたる中より、半天に浮び出でたる凱旋塔の神女の像、この許多あまたの景物目睫もくせふの間に聚あつまりたれば、始めてこゝに来こしものゝ応接に遑いとまなきも宜うべなり。されど我胸には縦たとひいかなる境に遊びても、あだなる美観に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮さへぎり留めたりき。

 余が鈴索すゞなはを引き鳴らして謁えつを通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西プロシヤの官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもせむと約しき。喜ばしきは、わが故里ふるさとにて、独逸、仏蘭西フランスの語を学びしことなり。彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。

 さて官事の暇いとまあるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めむと、名を簿冊ぼさつに記させつ。

 ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第に捗はかどり行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば写し留めて、つひには幾巻いくまきをかなしけむ。大学のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二三の法家の講筵かうえんに列つらなることにおもひ定めて、謝金を収め、往きて聴きつ。

森鴎外 舞姫

私はやがて欧州の新たな大都市、欧亜の中心に立っていた。私の目に映るのは、どんな煌めきだろうか。私の心を迷わせるのは、どんな色だろう。しかし、ウンター、デン、リンデンに来て、道の両側の石の道を歩いている兵士や女性を見てごらんなさい。そびえ立つ将校たちは、胸を張り、肩を張り、やはりヴィルヘルム1世の街に向かっている(「窓/心」第3段1-89-54)彼らが座ろうとするとき、様々な色と美しさの礼服を着て、パリの花嫁のパリの化粧をしている彼も彼女も目を驚かさないものはない。雲の切れ目が少しでもあると、澄んだ空に夕立の音が聞こえ、噴き出した井戸の水が溢れて落ち、遠くを見れば、ブランデンブルグ門を隔てた緑の木の枝の交差する間から、空に向かって半分ほど上昇する**トリオンフ門の女神の像が見えるのである。これだけの見所と睫毛があるのだから、初めて訪れる私が実践すべきことは、これだけの時間があれば十分である。しかし、私はどんな境遇に置かれても、その美しさに振り回されないことを心に誓っており、自分を襲うものをいつも遮断してきたのである。

 来日の意思を伝えるために鐘を鳴らすと、プロイセンの役人が大歓迎してくれ、彼らの知りたいことを何でも教えてあげる と約束してくれた。私は祖国でドイツ語、フランス語、西洋の言葉を学ぶことができて幸せである。初めて私を見た人たちは、いつどうやって覚えたのか、決して聞かなかった。  公務の時間があれば、国王の許可を得て、地方の大学に入り、政治学を学び、その名前が書物に記されていた。

 一ヶ月、二ヶ月と経つうちに、総督との会談も終わり、 調査もだんだん進んできた。大学時代、若い頭で考えていたように、政治家になれるわけもなく、政治家になろうかどうか迷っていたのだが……。

「舞姫」の全エピソード