堀木は家にいた。
階下では、堀木と年老いた両親、そして若い職人が下駄を縫い、叩いているところであった。
その日、堀木は都会での生活の新たな一面を私に見せてくれた。 それは、俗に言う「チャックリッシュ」である。それは、俗に言う「チャックリ感」であり、田舎者の私には驚きの眼差しであった。彼は私のように、ただひたすら流されるだけの男ではなかった。 まったくもって、あきれるばかりだ。祖父の承認は得たのか?まだです。 私は逃げたとは言えなかった。 玲に頼ってごまかすしかなかった。堀木にいつばれるかわからないと思いながらも、私は演技を続けた。 どうにかなるさ おい、面白くないぞ。警告してるんだ、バカな真似はやめろ。今日はちょっと用事があるんだ。最近、とんでもなく忙しいんだ。 どんな用事だ? おいおい、座布団の紐を切らないでくれよー。 話しながら、私は無意識に並べていた座布団の四隅の弦の一つを指先で弾き、引っ張っていた。堀木は、堀木家のものであれば、座布団の糸一本でも惜しまないようで、恥ずかしげもなく、角張った目で自分を責めるのであった。考えてみると、堀木は家族との関係において、何一つ損をしていないことに気がついた。 堀木の老母が、お汁粉を2つのお盆に載せて持ってきた。 あの、おしるこ?大胆だなあ、君は。気にすることないですよ。そろそろ用事で出かけなければならないのだ。 いや、しかし、自慢のおしるこを無駄にするのはもったいない。 いただくわ。あなたにもいかがですか?母がわざわざ作ってくれたんです。あ、おいしいです。豪快だなあ。 と、まるで演技ではないかのように、大喜びでおいしそうに食べていました。私も口にしたが、湯の臭いがして、餅を味わうと、それは餅ではなく、何か分からないものであった。その貧しさを蔑ろにはしなかった。(その時、不味いとは思わなかったし、老母の心遣いも感じた。) お汁粉とそれを喜ぶ堀木に、都会人のみじめさと、内と外の区別に躍起になっている東京人の家庭の現実を見たのである。ただ、人間生活から逃げてばかりいる薄っぺらで愚かな私は、完全に取り残され、堀木にさえ見捨てられたような気がして、焦げた箸でおしるこを扱いながら、呆れ果ててたまらなく情けなくなったことを書き記しておきたい。 悪いけど、今日は用事があるんだ。
悪いけど、今日は用事があるんだ。
堀木は立ち上がり、コートを着て、Im Sorry, but I have a business to attend to today.と言った。
失礼しました。
その時、堀木に女性の来客があり、自分の立場が急転した。
堀木は急に生き生きとした表情になった。
すみません、すみません。ちょうどあなたのところに行こうと思っていたところなんですが、彼女が突然やってきて、いや、かまわないよと言うんです。どうぞ、お入りください」。
彼女はよほど急いでいるようで、自分の座布団を脱いで裏返し、それをひっつかんでまた裏返しにして、その女性に渡しました。客座布団は堀木の他に一枚だけであった。女は痩せていて背筋が伸びていた。
女は痩せていて背が高かった。彼女は入り口近くの隅に座り、座布団を横に置いていた。
私はぼんやりと二人の会話に耳を傾けていた。女は雑誌社の人らしく、堀木にカットか何かを注文して、それを受け取りに来たようだった。
早くしてくれ。
出来ました。もう出来上がってる。これです。
電報が来た。
堀木はそれを読んで、機嫌が悪くなった。
くそ!
どうしたんだ、この野郎
ヒラメからの電報だった。
とにかく、今すぐ帰れ。送ってやれたらいいんだが、今はそんな暇はないんだ。
どこにお住まいですか?
大久保です。
私は突然答えた。
それなら、うちの会社の近くです
その女性は、甲州生まれの28歳である。高円寺のアパートに5歳の娘と住んでいた。ご主人を亡くして3年になるという。
苦労して育ってきたようですね。思いやりがあるんですね。 かわいそうに。
初めて、男らしく生きていた。
初めて、男らしく生きていた。 静子(女性記者の名前)が新宿の雑誌社に就職して、私は5歳の女の子、茂子と二人きりになってしまった。 それまで茂子は、母親の留守中にアパートの管理人室で遊んでいた。
しかし、今は気さくなおじさんが遊び相手になってくれて、ご機嫌のようだった。
一週間ほど、ぼんやりとそこにいた。アパートの窓際の電線には、凧が張り付いていて、春の埃っぽい風に吹かれて破れながらも、電線にしがみついて、頭をなでながら、何かしている。
金だ、金が欲しいんだ。
…… いくらだ?
たくさんだ。……お金がないときは、運が悪いと言われる。
そんな馬鹿な。 そんなのバカげてる。
本当に?
でも、どうなるか分からない。