人間失格

Sinking deeper and deeper  私はとても低く沈んだ || 太宰治 人間失格 (3)

Sinking deeper and deeper  私はとても低く沈んだ || 太宰治 人間失格 (3)

取り上げて、パラパラとめくって、土産物を注文する欄を見つけて、鉛筆をなめて、獅子舞と書いて、また寝た。
獅子舞の獅子は全くいらなかった。本がよかった。しかし、父が獅子を買ってあげたいと言っていることがわかったので、父の機嫌をとろうと、その意に沿い、夜遅くまで客間に出向いたのである。

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この奇策は大成功を収めた。 やがて、父が東京から帰ってきて、子供部屋で母に怒鳴っているのを聞いていた。  中店のおもちゃ屋に行き、この手帳を開くと、これ、ここに獅子舞と書いてある。これは私の字ではありません。これは洋三のいたずらです。と聞くと、にやにや笑って黙っていましたが、後日、獅子を欲しくてたまらなくなったようです。何しろ変な坊主ですからね。知らない振りをして、ちゃんと書いている。そんなに欲しいのなら、なぜそう言わないのだろう。おもちゃ屋で笑ってしまった。早速、葉蔵をここに呼ぶ。  一方、使用人や女たちを洋間に集めて、その中の一人にピアノを弾かせ(田舎なのに大抵のものは揃っていた)、くだらない曲で印度踊りを見せて、皆を大笑いさせた。 次兄は私のインダヤン踊りをフラッシュで撮影し、その写真を見ると、腰布(更紗の布だった)の縫い目から私の小さなペニスが見えて、これまた家中が大笑いした。
 毎月十数冊の新しい少年雑誌を手元に置き、その他にもいろいろな本を東京から取り寄せて内緒で読んでいたので、メカクシャラ博士やナンジャモンジャ博士にはとても詳しくなっていた。また、怪談、講談、落語、江戸狂言などにもかなり精通していたので、真面目な顔をしてのコミカルな発言で、家の者を笑わせることには事欠かないのであった。  でも、嗚呼、学校!?  そこで尊敬されそうになった。尊敬されるということがまた、私を大いに恐がらせた。人をほとんど騙した挙句、全知全能の存在に見つかってボコボコにされ、死ぬほど恥をかく…それが私の考える「尊敬されること」であった。  尊敬される状態というのは、そういうものだった。

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尊敬される状態というのは、そういうものだった。 私は人を騙して尊敬を奪ってきた人間だった。  そして、やがて人間がその一人から学び、自分たちが騙されていたことに気づいたとき、彼らの怒りと復讐はどのようなものになるのだろうか。想像するだけでも身の毛がよだつ。  私は金持ちの家に生まれたというより、俗に言う金持ちの息子である。  金持ちの家に生まれたからというより、できることをやったから、学校中から尊敬されそうになった。私は子供の頃から病弱で、寝込んで学校を1カ月も2カ月も、あるいは1学年も休んでしまうことがよくあった。 私は、クラスの誰よりもできる子でした。 体調が良くても、勉強は全然しなかった。学校に行っても、授業時間中に漫画を書き、休み時間にクラスのみんなに説明して、笑いをとっていた。 また、スペルにも面白い話をたくさん書いて、先生に注意されてもやめなかった。 ある日、私は礼から、母に連れられて東京に行ったとき、車両の通路にあった痰壷におしっこをした(ただし、痰壷と知らずにおしっこをしたのではなく、東京に行く途中で痰壷におしっこをした)ことを聞かされた。先生なら笑ってくれるだろうという確信があったので、職員室に向かう先生をそっと追いかけた。教室を出るなり、クラスの他の生徒のスペルから自分のスペルを選び出し、廊下を歩きながら、くすくす笑いながら読み始めた。  いたずら好きな目つき。  いわゆる茶目っ気と見られることに成功した。 尊敬されることから脱却することに成功した。 成績表は全教科10点だったが、操法だけは7、6点となり、家の中で大笑いされた。  しかし、私の本性は、そんなやんちゃな人間とは全く逆であった。

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しかし、私の本性は、そんなやんちゃな人間とは全く逆であった。 その頃、私はすでに女中や下女に教えられ、犯されていたのです。幼い子供にそのようなことをするのは、人間として最も醜く、最も低く、最も残酷な犯罪だと、今では思っています。しかし、私は我慢した。もう一つの人間の質を見たような気さえして、力なく笑ってしまった。もし私が本当のことを言う習慣があれば、父や母の犯罪を悪びれることなく訴えることができたかもしれないが、私は父や母すら理解することができなかった。人間に訴えることはできないのだ。父に訴えても、母に訴えても、おまわりさんに訴えても、政府に訴えても、結局は世間体のいい人の都合のいい言い分に合わせろと言われるだけ。  必ず一方的な下落があることを私は知っていた。結局、人間に訴えても無駄だったんだ。  え、人間不信ってこと?  はあ?  いつからクリスチャンになったんだ、と嘲笑されるかもしれない。しかし、人間不信が必ずしも宗教の道へ導くとは限らないように思うのです。実際、嘲笑する人も含めて、人々はエホバなど眼中になく、互いに不信仰のうちに生きている。私が子供の頃、父の所属する政党の有名な人がこの町に演説に来たので、下女に連れられて劇場に行って聞いたことがある。劇場は満員で、町の人たち、特に父と親しい人たちの顔が見え、大きな拍手をしていました。演説が終わると、観客は雪の降る夜道に集団で集まり、今夜の演説について文句を言いながら家路につきました。父のスピーチもいまいちだったし、有名人のスピーチもわけがわからない。  父のオープニング・スピーチはお粗末だったし、有名人のスピーチは理解不能だった、と彼らは怒った口調で言った。

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父のオープニング・スピーチはお粗末だったし、有名人のスピーチは理解不能だった、と彼らは怒った口調で言った。 そして、家に寄って客間に入り、今夜のスピーチは大成功だったと嬉しそうな顔で父に告げた。使用人達も、母から今夜の演説はどうだったかと聞かれると、とても面白かったと笑顔で答えていた。しかし、これはほんの一例である。  しかし、これはほんの一例に過ぎない。人間の生活には、お互いがお互いを馬鹿にしながらも、不思議なことに、どちらも何ら傷つくことなく、また馬鹿にしているという自覚さえない、純粋で明るい不信の例がたくさんあるように思うのです。しかし、私は、お互いが騙されあっていることに、特に興味はない。正義だ何だといった修身教科書的な道徳にも、あまり興味がない。騙し合いながらも、純粋に明るく生きている人、生きる自信のある人というのは、私には理解しがたいのです。人間はその神秘を私に教えてくれなかった。それがわかっていれば、あんなに怖がることもなく、あんなに必死になって仕えることもなかったでしょう。人間の生活と対立することもなかったし、夜の地獄であんなに苦しむこともなかったでしょう。つまり、私が下女たちの忌まわしい犯罪を誰にも告発しなかったのは、人間不信のためでもなく、もちろんキリスト中心主義のためでもなく、人々が私、葉蔵に対する信頼の殻を固く閉ざしたからであった。両親でさえ、時には理解しがたいものを見せることもあった。  誰にも訴えられない私の孤独の匂いが、多くの女性たちに本能的に感じ取られ、後年、彼女たちが私をいろいろと利用するきっかけのひとつになったような気がする。  つまり、私は女性に対する愛の秘密を守ることができる男だったのである。

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つまり、私は女性に対する愛の秘密を守ることができる男だったのである。 [第二の手記  新学期が始まると、べたべたと茶色の新葉をつけた山桜が、青い海を背に華やかな花を開き、吹雪が来ると、花びらは奔流となって海に散っていく。