人間失格

Sinking deeper and deeper  私はとても低く沈んだ || 太宰治 人間失格 (7)

Sinking deeper and deeper  私はとても低く沈んだ || 太宰治 人間失格 (7)

しかし、私は人間の恐怖から逃れ、孤独の中で夜の休息を求めるためにそこに行ったのだ。

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私は自分と同じような娼婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにか自分の周りに、思いもよらない不穏な空気が漂うようになっていた。
 これは余計な付録であったが、次第に  堀木に指摘されて愕然とし、違和感を覚えた。傍目から見ていても、衝撃を受け、違和感を覚えた。 私はすでに女たらしであることを匂わされており、女たちは(娼婦に限らず)本能的にその匂いを感じて近づいてくるのだが、そんな卑猥でみっともない雰囲気を醸し出してしまっているのである。  堀木は半分お世辞を言ったかも知れないが、私も思い当たることがあり、喫茶店の女からもらった貧しい手紙や、桜木町の私の家の隣に住んでいる将軍家の父の娘が、毎朝自分の登校時間になると、用もないのに薄化粧をして家の門から出てきたことなど、かなり辛く感じたものである。私が牛肉を食べに行くと、黙っていても必ず女中がタバコ屋の娘から渡されたタバコの箱に葉巻を入れてくれた・・・・・・・・。また、歌舞伎を見に行ったとき、隣に座った人が、故郷の親戚の娘から、思いもよらない手紙をもらっていたこと、……深夜の市電で酔って寝てしまったこと、……。…… また、知らない娘から、留守中に手作りらしい人形をもらったこと。……極めて消極的な私としては、断片的でそれ以上の進展はない話であった。しかし、女性に夢を与える何かがあったことは否定できず、下らない冗談を言っていたわけでもない。  ある日、堀木はむなしい現代性から(それ以外に理由は思いつかない)、共産主義読書会(R.S.、だったか、よく覚えていない)という秘密の勉強会に自分を連れて行った。

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ある日、堀木はむなしい現代性から(それ以外に理由は思いつかない)、共産主義読書会(R.S.、だったか、よく覚えていない)という秘密の勉強会に自分を連れて行った。 共産主義者読書会(R.S.とか、はっきり覚えていない)と呼ばれる秘密の勉強会に自分を連れて行った。堀木のような人間にとって、共産党の秘密集会というのは、もしかしたら、レイ  彼が共産主義者の読書家であったかどうかは、よくわからない。いわゆる同志に紹介されたんです。  同志を紹介され、パンフレットを買い、上座で顔の醜い青年にマルクス経済学の講義を受けた。しかし、私にはそれがすべてわかったように思えた。それはそうかもしれないが、人間の心にはもっと理解しがたい、恐ろしいものがある。それが何であるかは知らないが、人間世界の底に経済学以上のものがあるような気がして、その怪談に怯えながら、唯物論といわれるものを、水が低く流れるように自然を肯定するものとして しかし、私はR.S.(確かそうだったと思うが、間違っているかもしれない)に一度も欠席することなく出席し、同志が集まったことを大変うれしく思った。  私は、同志が皆大変そうな顔をして、1+1=2などというほとんど初歩的な算術理論の研究に耽っているのが滑稽でしかたがなく、自分のおふざけで彼らを和ませようとしたのである。その結果、研究会の堅苦しい雰囲気は次第に和らぎ、私は研究会になくてはならない人気者にさえなった。この単純な人たちは、自分たちと同じように単純思考で楽観的で、おバカな同志だと思っていたかもしれない。 もし、そうだったら、私は彼らを上から下まで馬鹿にしただろう。

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もし、そうだったら、私は彼らを上から下まで馬鹿にしただろう。 私は同志ではなかった。しかし、私はいつも欠かさず会議に出席し、道化師として奉仕した。  私はそれが好きだった。なぜなら、私は彼らが好きだったからだ。しかし、それは必ずしもマルクス主義的な親近感ではなかった。  非合法性だ。私にとっては、幽霊のような楽しさだった。実際、私はそれが心地よかった。あの窓のない寒い部屋に座っているわけにはいかないし、たとえ外が違法の海であっても、そこに飛び込んで泳いで、やがて死んでいく方がいいと思っていた。外が違法の海であっても、そこに飛び込んで、泳いで、やがて死ぬ方が、私には楽だった。  陰険という言葉がある。私は生まれたときから日陰者だったような気がする。世間から日陰者と指摘されるほど日陰者らしい人に出会うと、いつも心に優しさを感じるのです。すると、その  自分の優しい心にうっとりしてしまうほどです。  また、犯罪者意識という言葉もあります。私はこの意識にこの人間界で一生苦しめられましたが、妻のように良き伴侶であり、みすぼらしく一人遊びをしていたのも、私の生活態度の一つだったのかもしれません。 赤ん坊の頃から片方の脛に自然にできた傷は、時間の経過とともに治るどころか、ますます深くなって骨にまで達し、毎晩の痛みと苦しみは、さまざまな変化の地獄であったが、傷は次第に(これはとても変な言い方だが)自分の肉親よりも親密な存在になってきた。 傷の痛みは、言い換えれば生きた感情、あるいは愛のささやきにさえ思えたのである。堀木の場合は、ただ、その一員になりたかっただけなのだ。彼はただの馬鹿の使いっぱしりで、一度自己紹介に行っただけで、マルクス主義者は生産側だけでなく、消費側も研究しなければならない、などと言いながら、会議に出なかった。堀木のように虚栄心と近代主義からマルクス主義者を名乗る者もいれば、私のようにただ違法な臭いが好きで居座った者もいる。

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堀木のように虚栄心と近代主義からマルクス主義者を名乗る者もいれば、私のようにただ違法な臭いが好きで居座った者もいる。 彼らは、卑しい裏切り者としてすぐに追い出されたことだろう。しかし、私も堀木さえも除名されることなく、この非合法の世界では、正当な紳士の世界よりも自由に、健全に行動することができたのである。  私は、非合法の世界では、正当な紳士の世界よりも自由に健全に振舞うことができたので、見込みとしてはじき出したいと思うのである。  同志として、私は笑い出したくなるほど過剰な秘密主義でさまざまな用事を頼まれた。実際、そのような用事を断ったことは一度もなく、何でも躊躇なく引き受け、犬(同志が警察と呼んでいた)を疑ったり、怪しい人に尋問されたりして失敗したことは一度もなかった。運動の人たちは、まるで一大事のように緊張して、探偵小説のような下手な真似までして、細心の注意を払っていたし、頼まれた仕事も、かなりショックなほどつまらないものだったが、それでも彼らは、つまらないものでも、かなり力を入れてくれた)、仕事と言うものをきっちりこなしてくれた。彼らは自分たちが言ったとおりのことをしたのです。世の中の人の  世の中の人々の現実の生活に怯えて、毎晩不眠地獄に呻吟するよりは、刑務所にいる方が楽かも知れないとさえ思った。  父は桜木町の別荘への来客や外出で忙しく、同じ家にいても3、4日以上顔を合わせることはなかった。別荘の管理人のおじいさんから、父が別荘を売るつもりだという話を聞いた。 父の国会議員としての任期が切れる頃で、いろいろな事情があったのだろうが、もう選挙に出る気はないようだし、故郷に家も老人ホームも建てて、東京にいる気もないようであった。

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父の国会議員としての任期が切れる頃で、いろいろな事情があったのだろうが、もう選挙に出る気はないようだし、故郷に家も老人ホームも建てて、東京にいる気もないようであった。 ともかく、家はすぐに他人に売られ、私は本郷森川町の泉遊館という古い下宿の薄汚い部屋に移り住み、すぐに経済的に苦しくなってしまった。 それまでは、父から毎月決まった小遣いをもらっていたので、数日で使い果たしてしまうのだが、家にはタバコ、酒、チーズ、果物、それに本や文房具、衣服に関するものなど、いわゆるタベツで近所の店からいつでも手に入るものがあった。  突然、下宿で一人暮らしをすることになり、毎月決まった送金でやりくりしなければならなくなった。