愛知県のトヨタ自動車は、わが国の燃料資源に最も適した経済性の高い自動車を生産していると評判で、研究所ではディーゼルエンジンの完成や中型エルク車の試作など、より国策に沿った自動車づくりを進めていたところ、日本の自動車業界に旋風を巻き起こしている。
この車の研究開発について、同社副社長の豐田喜一郎(ほうだ・きいちろう)は、次のように語っている。
わが国は常に燃料問題に悩まされてきましたが、自然の水力を利用した水力発電は比較的発達していますので、電力や燃料資源が不足した場合に備えて、夜間に使用する電力を蓄えておくことが必要です。 故佐吉氏が上海で紡績業を営んでいた頃、アメリカへの移民が禁止されたことに非常に憤慨していた。 日本人の力で外国に経済的に打ち勝つ方法を考えなければならない、そのためには日本の水力を利用し、その電力を蓄えて海外に輸出したり、飛行機や自動車などに利用しなければならない、と言っていた。 そのためには、日本の水力を利用し、電気を蓄えて海外に輸出したり、飛行機や自動車に利用したりする必要がある」と、蓄電池の改良の必要性を痛感し、帝国開発協会に研究奨励金として100万円を贈った。彼は、蓄電池の改良の必要性を痛感し、帝国発明協会に蓄電池の研究費として100万円の懸賞金を出した。 その後、多くの分野がこの研究に没頭し、部分的な改良はあったものの、大きな画期的な改良はまだなされていない。発明は思いがけないところから生まれることが多いので、この賞の目的のひとつは、一人でも多くの日本人が蓄電池の研究開発に目を向けるようになることです。その後、年鑑委員会では、改良された先進的な蓄電池を生み出してきたが、経済的に自動車に使用できるものはなかなか見つからなかった。 そこで、日本産業開発研究所は、100万円の出資で豊田研究所を設立し、いろいろな種類の蓄電池を研究していた。 この種のものは、実験室で作っていては本格的な研究ができないので、大量に作って実用化し、欠点を一つ一つ直していかなければならない。
竹山博士は、従来の化学者が納得しない新型の電池を作ろうとしたが、従来のものより10%程度軽く、振動に強く、短時間の放電が可能であることが分かった。 当社は、帝国開発協会から蓄電池の製造権を譲り受け、全く新しい装置でモーターやシャーシの製造を開始しました。もちろん、この蓄電池が最後になるわけではなく、さらなる研究が必要ですが、現在の非常事態におけるガソリンの節約には、ある程度実用に耐えるものと考えています。当社は、国の燃料政策の立場から蓄電池自動車の生産に率先して取り組み、ある程度のリスクを認識した上で生産を開始し、来春の発売を予定しています。